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■田舎の思い出■

幼い頃、新潟の中魚沼郡という田舎に住んでました。
私が小学校へ入学する直前に訳あって埼玉の大宮へ引っ越しまいましたが、田舎にいた頃は、近くの川で泳いだり魚を突いたり、虫を捕ったり、冬はスキーや、家族で餅つきをして、かまくらをつくり楽しんでおりました。
そんな活動はごく日常のできごととして生活に溶け込んでい たのです。
小学生になり、埼玉での生活は、当時はまだ自然が残されていて、ザリガニやめだか、おたまじゃくしなどを捕まえてそれなりに楽しんでおりましたが、やはり田舎とはスケールが全く違います。
そんなわけで、毎年夏休みになるとその殆どを田舎ですごし、田舎の悪ガキ連中と真っ黒に
なって一日中遊んでおりました。本当に楽しくて楽しくて、40日間ほどの夏休みは、本当に
あっという間に終わってしまった記憶があります。
また、当時はまだ祖父母が田舎にいて、どんなわがままも聞いてくれました。いつも近所の
駄菓子屋で好きなものを買ってくれたし、おやつの時に蒸かしてくれた、とうもろこしの香
ばしく濃厚な味は今でも忘れません。
そんなやさしかった祖父母も今は他界し、相続の関係で家も売ってしまいました。

■再び田舎暮らし■
それから時が流れ、私も家族を持ち、子供が小学校に入学する頃、父親が、同じ新潟県にある川口町の田麦山というところに、古い民家を購入しました。
当時東京で働いていた叔母が老後を田舎に帰って暮らしたいとの希望で、叔母の貯金に父親の資金を加え購入したのです。
叔母と父親が購入した民家は、建坪30坪で築70年ほど、土地は400坪程度ありました。
7年ほど前ですが、当時400万円ほどで購入しました。その後、屋根から床の張替え、大きな
ユニットバス、最新式のトイレや浄化槽整備、地下水のくみ上げポンプ等の大規模なリフォ
ームを行い、結局、1,000万円以上になりました。それでもこれだけの広い土地と建物が快
適にリフォームされ1,000万円程度なので、決して高いとは思えませんでした。
叔母はそこで暮らし、近くの食堂でパートも始め、パート先の連中や近所の人々とも仲良く
なりました。野菜のお裾分けをもらったり、定期的に町へカラオケに繰り出して、それなり
に楽しく気楽な田舎暮らしを楽しんでおりました。
私たちも、5月の連休や、夏休みは我が家4人と両親でつかの間の田舎暮らしをさせてもらっ
ておりました。

しかし、悲しいことに叔母は突然の病で田舎暮らしを始めて1年足らずで、他界してしまいました。体の異変に気づき病院に行った時は、既に末期のすい臓がんに侵されており、余命も数ヶ月とのことでした。
■親父とおふくろの奮闘■
叔母が亡くなってからも、5月連休と、夏休みは、家族(両親と我が家4人、たまに弟も)そろってのプチ田舎暮らしは続いていました。
その頃の両親の最大の喜びは、この田舎で孫(我が家の長男、次男)と一緒に寝泊りし、野山に連れ出して川の生き物や山菜を採ったり、バーベキューや花火をやったり、一緒にうどんをこねたりすることで、そんな時の両親の顔は本当に幸せそうでした。

子供たちも普段はTVゲームに熱中し、どちらかと言うと屋内で遊ぶことが多いのですが、田舎では、泥んこになって野山を駆け回り、ひと時も家に留まることはなく、夕方まで外で遊んでおりました。
やはり、子供と自然は本当に相性が良いのですね。
田舎の真夏は、昼は都会と変わらず蒸暑いのですが、夕方あたりから山から吹く風が涼しく、風呂上りに縁側で涼みながら、のどかな田園風景を眺め飲むビールの味は最高でした。
流行の言葉で表現するならば、まさに「プライスレス」なひと時を過ごせたなと思います。
田舎は自然環境が厳しく、梅雨時は洪水、冬は豪雪に見舞われることもたびたびで、無人と
なった家はすぐに傷んで、崩壊してしまいます。それを防ぐために、親父は1〜2ヶ月に一
度、在住の埼玉から新潟の田舎まで、家のメンテナンスを行なう為に、車で通っていました。
年に2回の5月連休と夏休みに孫たちを喜ばせたいがために、そして自らの喜びのために。

特に、連休の1週間前は、我が家4人が快適に泊まれるように、両親は家の周りの草刈り、家の大掃除、布団干し、食材などの買出しなどをしてくれて、万全の準備で私たちを迎えてくれました。
今思い出しても、本当に涙ぐましく、感謝、感謝です。
■新潟県中越地震■
そんなささやかなプチ田舎暮らしも終止符を打つこととなりました。その原因の一つとなった
出来事が、2004年10月23日に起きた新潟県中越地震です。
私たちの家屋は震源地(川口町)にも近く、周辺の家々は壊滅的な打撃を受けました。幸いにも我が家屋は倒壊は免れましたが、壁土などは全て剥げ落ち、家財は全て倒れめちゃめちゃな状態で、インフラも壊滅状態でした。
親父は再度資金を投じて最小限のリフォームを施し、住める状態にしましたが、インフラの回復はままならぬ状態が続きました。そのため、翌年(2005年)のプチ田舎暮らしは諦めざるを得ませんでした。
■さようなら、プチ田舎暮らし■
2006年の5月連休と夏休みはまだインフラ回復工事やリフォームなどで田舎に行けない状況が続きましたが、その年の秋に田舎暮らしを再開できました。
ポンプ式の井戸は壊れたままだったので、若干不便を強いられましたが、それなりに満喫することができました。しかし、周辺にはまだ仮設住宅での生活を余儀なくされた方々も多く、私たちのようなよそ者が、そのような方々を横目に、一時の楽しみのためにそこにいることが、とても後ろめたいことに感じました。
そして、今年(2007年)の5月連休は親父がメンテナンスでただ一人田舎の家屋に訪れただけです。またこの年、長男も中学に入学し、夏休みもサッカーの部活で忙しく、次男も少年野球のレギュラーとなり、やはり夏休みも練習や試合が続く予定で、結局この夏も田舎には行かないことに決定しました。今後も、子供は学校の行事と友達との交流が中心となり、なかなか田舎には行く機会は少なくなるでしょう。
そのような状況を察知した親父も、5月以降は家屋のメンテナンスにもう田舎には行かなくなってしまいました。
きっと今頃は田舎の家屋の周りは雑草で覆われ、家屋も朽ち果ててゆくのでしょう。
親父とおふくろにとっては、孫たちと自然の中で触れ合うことが、田舎暮らしの唯一の楽しみだったようです。
たまに、両親の家(埼玉県さいたま市)に行っても、田舎の話題は極力避けるようになりました。
そんな親父とおふくろも急に年老いた感じがしました。
これで、私たちのささやかなプチ田舎暮らしの話は終わりです。
■やっぱり、いつかまた田舎暮らし■
それでも私は田舎暮らしを諦めたわけではありません。
幼いころの田舎でのあの色濃い原色の思い出は、今でも心に刻み込まれています。
幼き良き時代だけを田舎で過ごせたからこそ、いい思い出しか心に残っていないのでしょう。
私が大人になってからも、親父が田舎の民家を購入し、再び田舎暮らしを皆で体験させてもらったおかげで、家族全員の絆も深まり、子供は貴重な自然での体験をすることができ、私自身も、幼き頃の楽しかった思い出を再現できました。
なにより私にとっては、なにかとストレスの蓄積する日常から逃れ、なにものにも替えがたい癒しと、自分を取り戻す機会を得たことが本当に良かったなと、つくづく両親に感謝しております。

今は家族も私もいろいろと忙しく、物理的にも経済的にも田舎に投資する余裕はありませんが、いつかは朽ちかけつつある田舎の家を生き返らせ、家族や親しい者たちの憩いの場にしたいと心に決めています。
それまで、親父もおふくろも元気で長生きしてほしいと願う今日この頃です。

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